インテグレート・ヒーリングIHと「知識」について

私スワアカネのIH基礎クラスでは、頭を使うな、知識はいらない、としつこく伝えています。

IH創始者のマチルダがそれを伝え続けていて、私が基礎クラスのインストラクターになった時に「基礎クラスで必ず伝えてほしい」とメールをもらいました。

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インテグレート・ヒーリングのクラス考

自分との対話は誰にでも出来ること、だからIH(インテグレート・ヒーリング)は特別なことをしていない。それじゃあ、プラクティショナーの存在は何のためなの?というと、自分と繋がるまでのプロセスを介助するための、介添的存在。

だから、IHのクラスでは、やり方を徹底的に学ぶことではなく、そしてスターを養成するでも無しに、相手のプラクティショナーが誰だったか忘れてもいいくらい、自分の解放に自らを向ける。そしてプラクティショナーは、その景色を目の当たりにし、初心者だろうが経験者だろうが関係ないことを学ぶ。

IH基礎クラスは重いムードにならないように、自分との対話を楽しむところから始めるよう意図しているけれど、自分を理解して受け容れられれば、他人のことも許容できるので、プラクティショナーになるコースに出る前にIH基礎クラスを履修しておく利点は、より寄り添えるプラクティショナーになれることだと思います。

創始者から直接学べるコース、早割9/23まで。アメリカ・ロサンゼルスで開講です。

https://integratedhealinginla.jimdo.com/ih講習会ロサンゼルスについて/

インテグレート・ヒーリングIH考

私の頭の中はときどきこんなことでいっぱいになっています。IH実践研究家、って言って良いと思う、料理研究家と同じようなものだから、たぶん笑

自分にとってのインテグレート・ヒーリングIHの表現が変化してくるのは、教わった言語の守破離とも言えるだろうし、時代も自分も変わるから、当然のこととも思えます。だけど本質は変わらない。だから、統一の表現を強制されないIHは、本当に本質的だと思う。

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インテグレート・ヒーリング‪IHは細胞や人が「生きている」状態にするのでなく、大きい世界観の中で「生きていく」状態にするものに近い。‬その人それぞれにとっての自然な姿になっていくために、時に平穏な生命の死もギフトされることもある。それも含め〈いのち〉、生き方を自分自身でコマンドするためのシステムであると言えるだろう。プラクティショナーはその介助役。

こんなことを言うと反感を買うかもしれない、けれど、死を含めての〈いのち〉であるならば、そこまでを包括しないのは不自然だから、やはり肉体の終焉を一つの暗転( コトバンクより→演劇で、幕を下ろさず、舞台を一時暗くして場面を変えること。「暗転して第二景に移る」)として「目標設定(方向のコマンド)」を死ぬ直前ですらも行うことへの価値はあるように思う。

もちろんプラクティショナーが介添すると情報の幅は広がるが、自分一人で行えるようなら、旅立つ最期まで自分の味方と共に生きていくことが出来る。習わずとも自ら出来る人もいるだろう、しかし、インテグレート・ヒーリングIHの世界を学ぶことで、共通の景色が見れる仲間のみならず、自分自身という一生ものの味方を手に入れることが可能になる。

っていうのが今の私がしっくりくるIHの説明なのだけど、終わりの説明だけは収まらない、というのが、IHという、枠なきフォーマット。

政治と個々の生き方の話

神奈川県知事・横浜市長・横浜教育委員会教育長。

残念な感じのニュースばかりの横浜・神奈川ですが、

何かを変えるチャンスのタイミング到来のサインなので、

これを機に市政や県政が市民・県民のものであることを私たちが認識すればよくて、

それは国政が国民のものであるという意識につながるでしょうし、

「自分の人生は自分のものだ」

とハッキリと言える個々の生き方につながるように思います。

ほんとの自分を取り戻そう。

2012年の自分。

ブログにアーカイブしようと思って、2012年のFacebook投稿を見るのだけど、この時の自分が可愛くてしかたない笑

お勉強したこと(インテグレート・ヒーリングやタッチフォーヘルス)を実践できるのが嬉しくてしかたなかった、この時期。
家を出発した坂道で青い空を見上げて、生きていてよかった、と思ったのを覚えてる。

 

この時の自分は、自分のことをかわいいと思う日が来るとは思いもしなかったし、日々必死で闇から抜け出そうとしていた。

 

不安もたくさんあった。

 

そしてまだこの時は、次の世代の土台となることや全体性など考えられなかった。

今の自分はおじいさんみたいだなと思うけれど、7年後の私が今の私を見たら、それなりにかわいいと思えるのかもね^^笑

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自分についての話の聴き方

紅音さんのファンなんです!

と、誠にありがたいお言葉を頂戴している時に私に起こることは、全身の毛穴が開いて汗が噴き出そうになること。。

このままでは冷静に話が続けられない、、

そこで、「ではスワアカネという代名詞だったら」というテイにして、話を進めました。

元々の話の運びの目的があったのでそんな風にして基軸を戻したわけなのですが、

ふと今日になり思ったことがあるので書き記しておこうと思います。

良い言葉でも褒められ慣れなかったり、特に不意打ちだとめちゃくちゃ動揺するので、そんな時は「私」そのものでなく「スワアカネ」が褒められていることにする。そうすると、衝撃を受けないし、冷静で落ち着いていられる。

そうであるならば、

良くない言葉でも同様にしたら、衝撃を受けずに済むのではないかと。

よく、自分そのものを否定されたと思って死ぬほど落ち込んでしまう方がいるかと思うのですが、自分本体と切り離してみると、パニックにならずに済むかと思います。

人から言われることは、自分全てのことではなくて、ある側面についてのことなので、自分の全部が肯定されたり否定されたりするわけではないんですね。

だから妙にテンパる必要もないし、冷静にお話を伺えばいいんです。

というわけで、これからのスワアカネは、褒められても貶されてもクールに佇んでいるかもしれません笑

褒められた時、にっこり笑って「ありがとう♡」とスマートに言える人が素敵です。そうなるようにトレーニングしている間は顔がおかしくてもご容赦ください🙏✨笑

紅音

新年からの自分の選択

新年あけましておめでとうございます。

旧年中はお世話になり、ありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

例年、大好きな神社で祈祷をして頂くのですが、今年はどうも気が向きませんでした。それよりも何かがあるような気がして、モヤモヤしながら調べ物をしていました。

神社庁に属するか属さないか、という視点が自分になかったもので、調べてみると、政治へのお金の流れやらめんどくさくなってしまって、お社に神様なんているのかな?なんて思ってしまう不謹慎な正月でした笑

そんな私のスピリチュアル的思想は、自分たちが神さまの中に存在する、という考え。

暮らしの中に神さまがいるんでなく、私たちの暮らしが神さまの内部にある。

でも、存在が大きすぎて、日常を生きているとつい目の前しか見えなくなり、忘れてしまうんですね。そうすると孤独感や不安感、恐怖に苛まれるので、それが「大いなるものを忘れた」というサインになります。

大いなるものを信頼し生きること、それが重要なことだと知っているのに、大きすぎて忘れてしまうから目に見えるお社やお守りなどの物質的な要素が必要なだけだったのかなと。

決して神社アンチではありません。神社さんにはすごく気持ちのいいところもありますし、たくさん救われて来ました。

何も考えずに良いことや習慣のように行く神社ですら、マスコミに操作されていないかどうか、その可能性に気を巡らせる時も来ているのかもしれません。そうではなければそれはそれで幸せです。

何かを選ぶ時には、エネルギーを自分で感じる、または筋肉反応テストで自分に合ったもの、神社、全て自分で選べたらいいんじゃないかなと思いました。

自分を知り、自分の宝を使っていきましょう。

紅音