IH内輪向けの長いつぶやきです

IH(インテグレート・ヒーリング)が私はわからなくてずーっとやめられなくて、基礎クラスのインストラクターになってもまだわかってなくて、だけど、ずーっと探してる言語がそろそろ見つかりそうで、ちょっとした前夜祭気分です。

まだ見えてはいないけれど、夜明け前のように薄ぼんやり明かりが見えたところ…

IHを広めるための努力は申し訳ないけどしていなくて(創始者了承済)本当に何の義務もない、自分の腹がうずくままのことしかしていなくて。

それでもIHがIHにおさまらない日が近いような気がしています。

みんなが肩身の狭い思いなくセッションできたら楽しいなって思います。それでそーゆーメンテナンスがアタリマエになって、治療を受けるのとかセラピーにかけなければならなかったお金を海外に行くのに使ったら良いと思う。

世界は広くて豊かだから!

紅音

いろんな投稿をするもんだから。。

時々、迷いも生じるのです。

個人事業の成功のセオリーとは違うことしてる、っていう意識はあるもので、

どんどん減った「いいね」にやっぱり自分間違っているのかな、とか弱気になることも時々はあるんです。

それでも自由に書くことが私を活かす道だと今年複数の方からメッセージを頂いて、私はそのまんまな自分を活かすことを仕事で伝えているものだから、自分の道を歩むと決めて書き続けるのです。

そんな時に、何かの記事のきっかけに時々ポコっとメッセージをくださる方々がいらして。

この時は、Facebookでのシェア記事についてでした。

記事を書くのって、小学生の頃から作文を書くのが好きだった私には、自分の好きに書くことは苦ではないのですが、それでも時間のかかる生産行為で。

そして、みられたくない人からもみられてしまう、裏でどう思われ何を言われるかわからない、人の念が飛んで来やすいのも知っての上で書いているので、それなりにエネルギーは使っているんですね。

一応は自分のいのちを使っているので、書いたものが誰かに届いたことを知れるのはうれしいです。

代弁者であるとしたら、矢面には立ちやすいですが、書くことが好きなギフトが自分にあるならばそれをする意味がきっとあるので、これからも好き勝手に書いてどなたかの何かにつながれば良いなと思います。

私は普段、感想文を求めることはしないんですね。勇気を出してお願いしてみたこともありましたが、「感想文を書く」というタスクをこなして欲しいわけではなく、もうそこで気持ちの純度が下がってしまう感があり。。

ふとした時に本心から出るもののバイブレーションが高く、それを受け取った私と、伝えてくださった方とに響きあう嬉しさを意識的に倍増させようと「宝物お言葉集」を作りました。

ブログ上では言葉(メッセージ)のコレクションをしていますが、言葉が無くても純度の高い愛や感謝のエネルギーはすごくよく伝わります。

もし、私に伝えたくても言葉にできない場合は、直接お会いした時にそう言ってくださったらキャッチできるかと思います(ストレートで純度の高いものは伝わりますが、自分のこと認めて欲しい的なエゴ発信は高いバイブレーションで伝わってこないのでわかってあげることはできません。ごめんなさいね🙇‍♂️💦)。

「代弁してくれてるようで嬉しいです」

という言葉に響きました。私も嬉しいです。

ありがとうございます❣️

うれしさ還元

うれしい言葉集、を、作ろうと思います。

これまでの自分の人生でたくさんスルーしてきてしまった、周りの人たちからのたくさんの愛を、意識して増幅したら面白いことが起きるんじゃないかと思い、私が響いたメッセージを頂いた方々に、おゆるしを得ました。

これまでは、セッションのご感想を頂いても、私はただ筋肉反応を取ってインテグレート・ヒーリングをやっただけで、受けに来てくれたその方の勇気が素晴らしいわけだし、内容はとてもパーソナルなことだし、セッションの成果を意気揚々と自分の手柄のようにシェアすることにとても抵抗があったんです。

そういう風な見せ方をすると人気が出るのはわかってるんだけど。

人気や力が欲しいわけじゃないから、違和感や居心地の悪さばかりがつきまとい、せっかく良い言葉をもらっているのに受け取れなかったんです。

先日でのIH基礎クラス練習会でのこと。たどたどしくもスッキリとしたセッションをして頂いて、腹に決めたことがありました。

私は「リーダー」ということに小さな頃から課題があって、どうやら大きな人生のテーマでもあるようなのです。自立とか、独立とか、独りとか。

リーダー論を真剣に考えていたのが中学の頃。中3の時には、上に立ち人を引っ張るリーダーは誰にでも出来るのだから、下から支えるリーダーを経験しよう、とか考えて行動していました。

下から支えるというのは、実に目立たない行為で、下から支えているうちに、上に立った気分になっている人のことも支えることになるわけなんです。脚光も浴びず自分が何をしているのかよくわからなくなり、試練が続くのでありました。

承認欲求の薄れた今は、こう思います。

上も下も無かろう、と。

リーダーって、そういうもんじゃない。私は私に、自分ひとりだけにしか出来ない、「自分自身のリーダーになること」を今年の年初に掲げました。

そしてこないだのIH基礎クラス練習会でのこと。

ま〜たリーダーがテーマなの!?と、いいかげん嫌になりました。

おんなじ事ばかり言ってるのは、覚悟が足りない証拠。

もーいいや。もう飽きた、同じことばっかり言ってんの。

もう終わりにしよう。

セッションを受けながら、そう思ったんです。

実は11月のロサンゼルスでもそんなこと言ってたんですよね。

だから、最後のダメ押しになったのかもしれません。

もーべつにこだわらなくてもいいや。どーせ、そうなる必要があるんならそうなるだけなんだろ。

とセッション中に覚悟を決めることができました。

そうすると、不思議なことに

これまで自分の中になかなか入ってこなかったうれしい言葉が、じんわりと自分に伝わるようになったんです。

ああ、私って、こんなこと言われると嬉しいんだ❣️

ということがすごく良くわかりました。

そのきっかけとなった言葉はこちら

12月13日に目黒でのIH勉強会で、ロサンゼルスでの受講のお話をすることになっているのですが、それについてのお問い合わせでした。

「あかねさんトーク聞きたい」という言葉に、これほど自分が喜ぶとは、自分でも意外だったんです。でも何度見てもじわじわうれしい。

本当はしゃべるのそんなに得意じゃないし、伝わるように話そうとすると顔がすごくこわばるし、下手くそなんだけど、それでも伝えたいこと、伝えろと(筋肉先生に)言われることがあるんですね。だから一生懸命です。

何か、伝えることにお役目があるんだろうなあ。と日々思っているからか、上のようなメッセージを頂いて、魂の深いところで喜びが起きたみたいです☺️🙏✨

そんなやり取りをしていたら、上のメッセージを送って下さった方も、とても喜んでくださって。。

これが、形骸化した表だけの言葉だと、私には響かないんです。この人のハートから来てる、と体感覚でキャッチするので、わかっちゃうんです。

やり取りしながらお互いに嬉しくなって、涙を浮かべるほど。

私、これまでいくら褒められても、耳に入って来なかったなぁ。まだ面と向かって言われると緊張と照れで聞こえないことになったりすることもあるけれど😂、素直に喜べるようになってきたこの嬉しさ、そして頂いた愛の気持ちを、意識的に増幅したい。

単に、私のブログに記録しておきたいだけでもありますが😁笑

そんなわけで、うれしい言葉をキャッチするようになったら、たくさん言われてることに気づいてきたので、そういうコーナーを作りたいと思います笑

ほんとに好き勝手なブログ書いてるな〜!!

でも、思うんです。

ビジネスブログも大事なんだけど、本来ブログって日記みたいなことだったよな、と😊

12/13.14の企画↓

https://www.facebook.com/events/332662977463336/?ti=icl

紅音

自分のために歌う

(写真は10月31日のロサンゼルス空港到着時。スーツケース左が私、右が愛ちゃん)

今日はIH(インテグレート・ヒーリング)基礎クラスの練習会でした。

いつも思うのは、

テキストを見ながらただ淡々とそれをやる、

テキストを見ながらたどたどしくもそれをやる、

そういうセッションほど、セッションをする人の余計なエナジーが乗っかって来なくてスッキリするんです。ほんと不思議。

もちろん、素晴らしい質問や気づきに繋がる声かけによって、深い納得感を得られることもあります。

ここで気をつけたいのが、何を目的としているのか、ということ。

納得するためにセッションを受けたいのか、

自分という存在、自分という<いのち>を輝かせるためにセッションを受けたいのか。

納得して「あ〜なるほどスッキリしました」というセッションは、頭の理解の領域を出ることが出来ない。

一方で、

よくわからないけどとにかく何かがスッキリした、

意味がわからないけど涙が出てきた、

というセッションは、

頭では追いつかない領域が動く。

無限の可能性があるのは、どっちかな。。

——

練習会の帰りに、今年一緒にロサンゼルスに行った愛ちゃんとご飯。

いろーんな話を聞いて、質問していく…

愛ちゃんの口から「自分に対して歌う」と出てきた時、

彼女と彼女の周りのエネルギー体がヒュッと変わり、

それと同時に、私のエネルギー体も震える。。

それは、「間違いない」の、サイン。

自分のために歌うこと。

それが彼女が自分に戻って来れること。

自分のために歌うこと。

とても美しく、愛に溢れた言葉であり、

愛に溢れた行為。

なんの質問をしたのかというと、

「誰に何を言われても止めないことって何?」

ということでした。

私なら筋肉反応テストだなあ。と思いながら質問をしていたけれど、愛ちゃんの言葉を聞いてエネルギー体がビンビン反応したことを後で反芻して、

夜道をブラブラ歩きながらフラーやヴィトゲンシュタインの記事を読み、改めて自分に問うてみた。

自分のために歌うという愛溢れる行為は、私の場合は何だろう。

すぐさま浮かんだのは「書くこと」。

愛ちゃんが、自分のために歌うことで自分に戻るように、私は自分のために書くことで自分に戻れる。

いつからだろう、人にわかってもらえるように書くこととか、何かを売るために納得してもらうように書くことを意識したのは。

ただ純粋に私は書きたいだけだった。どんなに下手と言われようとも、誰に貶されようとも。

「何かのために」やることが軸ブレを起こすことは飽きるほど体験している。これに関してはもう嘘はつけない。

誰かのために頑張るなんて恩着せがましいことはもう出来ない。

自分がやれるからやる、出来るからやる。やりたいからやる。

自分が歌いたいから自分のために歌う、

自分が書きたいから自分のために書く、

その「自分のため」の解釈は人それぞれなのだろうけど、それを文字のまま受け取って批判する人は、きっと何かを我慢しているのだろう。

純度をあげて行こう。

私の人生なんだもの。

それが私の仕事。

体裁なんかクソくらえ

ひどいですね、最初の記事にこんなタイトルつけるなんて😂笑

昨日はライターでマーケターの須賀和さんにお力をお借りして、
5年は躊躇してたWordPressを使えるようにしてもらいました。

 

90年代にHTMLの簡単な書き方を高校時代の友人に教わって
(喫茶店の紙ナプキンに書いてもらって)
学生時代の先輩たちにも質問しながら、ホームページを作ってました。
古い人間なもので、昔は「ブログ」なんてものは無かったのです。

 

書くことが好きで、小学生の頃から作文は好きなのです。
おそらく、書くことは、私の資本であり財産だと思います。

 

自分の趣味のホームページで何をするかというと、
文章を書いて載せるのです。随筆とも言えない駄文ですが。

 

わりと評判がよくて、楽しく更新しておりました。
インターネットで知り合った人と飲みに行ったりもしてましたね。

 

その時代のホームページは、ただ紙を増やしていくような感覚でした。
そのうちポップアップのやり方を覚えて(時代感満載ですね^^;)
「今日の一言」なんていうのがポンっと画面表示されて
8秒くらいすると消えるのとか、作るのも、
「今日の言葉は響いた」などフィードバックをもらうのも楽しくて。

 

でも、だんだん、書くことと自分自身がズレて来てしまったんですね。

 

湧き上がる「書くこと」は、今おもえば
「降りてきた」ものだったのかもしれませんが、
そのページから離れてリアルの自分を見つめると
偉そうなことを書くわりに全然伴っていない自分を感じて
そのギャップにしんどくなっていったのです。

 

ホームページを惜しまれながらも閉じて、
何年かしてブログというものが認知され始めた頃には、
書くことの怖さが先立って、流行りに乗っかりませんでした。

 

でも2010年、自分に嘘をつかないことを約束して
そのまんまを書き続けていこう、と決めて書くことを再開しました。
探せば出てきちゃうアメブロ…紆余曲折の歴史です。
いつか消すかもしれません笑

 

個人的に書いていて、商売に結びつける意図はありませんでした。

 

そのうちに、お手伝いしていた先生のところで
セミナーの宣伝メールやブログを私が書くことになり
収益につなげるにはコピーライティングが必要だとか、
選んでもらう書き方だとか、そういう学びが必要だと知り、
同じ「書く」という行為でも意味合いが変わってきました。

 

要は心理を操作させる書き方をして
儲けて成功しようという目的になるわけです。

 

これは、純粋に自分の中のものと文字とを合わせることで
自分道を生きていきたい私には
魂を売り渡すような感覚があって、
仕事として割り切ればいいのですが
自分が日頃扱っているものが
「本来の魂の状態に戻る」などというヒーリングゆえに
そのヒーリングセッションを成立させるためには
私自身が自分の魂に従順になる必要があるという
矛盾の壁にぶち当たることになったのです。

 

会社から支給される「お給料」というものに依存しない生活は
自分の身を守るためのことに必死になりがちで
自由が手に入るのと同時に不安や恐怖も身近なものになります。

 

せっかく会社から離れて自由なことが出来るのに、
それでも会社のときのように決まったやり方や
派閥だの権威だのに左右されるのは
ほんとうにうんざりだと思いました。
会社に所属しないというリスクを選んだメリットがなくなってしまう。

 

本当に、私はどのように生きていきたいのだろう。

 

クライアントさんへのセッションがウソにならないよう
人に言うなら自分をどうにかしろよ、と自己ツッコミを入れながら
造りまくった自分を変えることの恐怖を感じつつ変化してきました。

 

そうしていくうちに、自分にとって大事な軸というものの輪郭が
少しずつハッキリしてきました。

 

時代の変化も相まって、個を極めることで全体に繋がることも理解でき
自分のいのちの使い方がそこにあることをようやく認めることができました。

 

もう、誰のことも目指しません。

 

私はわたしの純化に取り組むことで、
私の仕事を成立させます。

 

だから、大事なものから純化を進めて行くことにしました。

 

そうすると私にとって体裁はさほど重要ではないので、
本記事表題のような言葉を自らに送ることで
過去の自分がまだ若干残っている「人の目を気にする」ところを
断ち切るトレーニングをしているのであります笑

 

(セッションでエネルギーを変えても、
自分でそれを維持し先に進むトレーニングは必要です。
一回動けるようになったからって一生運動しないという人はいないし
一度お風呂に入ったからって一生入らないという人がいないのと同じです。
セッションでは、動きやすくするためのエネルギー調整を行います。)

 

というわけで、こちらのブログでは、
誰の目も気にせず思いのたけを書き綴ります。
これまではFacebookにたくさん書いていましたが、
あれはフォローしてもらってたら自動で上がってしまうから
やっぱりなんか人のこと気にしちゃってたりするんですよね。
雑味が否めません。

 

”書く”ということについて、
「私自身」が書く時と、
「よく説明のつけられないもの」に書かされている時、
その中間の時があります。細かく言うともっと種類はあります。

 

なので文体が統一しないという悩みもあったのですが、
それはカテゴリ分けをするという解決案を頂いたので
昔のホームページにはなかった
カテゴリやタグの機能に頼ってみたいと思います。

 

というわけで、工事中のページを恥ずかしげもなく公開してまいります!

 

体裁なんてちっぽけなもの、クソくらえ!!
(って自分に言いながら笑)