「普通の人の面白さ」が光るお笑いが好き。

本音爆弾。「志村けん」を面白いと思ったことはなくて、皆さんの反応を見て共感できない私はやっぱり異常なのか非国民なのか捻くれているのか波動が低いのか癒されていないのか笑笑、と、思いつつも、

せっかく「志村けん」に愛を向けている人たちに水を差すようなことはしたくないし、そうこうしていると自分の意見が言えなくなるものだなあ、と、今世界中で起きている情報戦も脳裏に入れつつ、とにかく自分を分析してみました。

こどもの頃に私が笑ったのは昔々NHKでやっていたMr.ビーンとか、世界の料理ショーの、グラハム・カー。あと欽ちゃん。共通点は、日常を舞台とするところ。いま自己再ブームの中川家も、日常ベース。

架空の空間や架空のキャラクターを作り上げるのではなく、日常に近い再現をする非日常という前提で、日常の中に焦点を向けるのが面白い。

みんながスーパーマンのような存在を求める中で、埋もれがちで見過ごされたり、時に嫌がられたり無視されて「なかったことにされる」個性に、光を当てる。

「普通の人の面白さ」が光るお笑いが好きなのは、

いま私が仕事としている「その人の中の自然な光・面白さ・宝物を見つける」ことに近い感じがします。

こどもの頃からテレビの影響を受けてそうなったのか、そういう素質があるからそういうコメディアンを好んだのかは、卵が先かニワトリが先か、みたいな話。

 だから、私は自分の仕事がとても面白い。インテグレート・ヒーリングIHは、誰かの思う正解を目指して整えることはしていなくて、その人の素の個性が輝くように出来ているから。

さて、自分の嗜好がわかったところで、「志村けん」に戻ります。

8時の生舞台のドリフターズは、リアルタイムで観ていました。それなりに楽しみにしてました。

当時のこどもはテレビ自体が貴重な娯楽だったのです。笑

東村山音頭も踊りました。

扇風機をスタジオのカメラに見立てて、歌のコーナーのアイドルの真似もやりました。

布団の上で体操ごっこもしました。

ドリフターズは、こども達のコミュニケーションツールだったと思います。

とりあえずドリフの真似をすれば、こどもはたちまち仲良しになれる。

「教育ママ」という言葉が出てきたあの時代に、

「大人の言うことをただ聞いている、良い子ちゃんじゃない!僕は、私はこども側にいるんだよ!こども仲間だよ!」

という、大人の理想の枠から出るツールでもありました。

真面目な大人は嫌がるからね笑

ともだちと仲良く遊びたい、そんなこどもたちのために与えられた共通言語だったと思います。

それを与えてくれた「志村けん」は偉大だと思うし、志村けんさんは芸に熱い職人で、かっこいい人だと感じます。

いかりや長介さんの元で修行されたことも大きいでしょう。

私がまだ20代で会社員だった頃、昔のドリフのカセットテープを購入し、昔のドリフの映画をミニシアターまで観に行きました。

おかげで「大人」の枠に収まらない、面白い大人たちと繋がることができました。笑

お笑いとしては個人的に響かないのだけれども、大人の「マス」なコミュニケーションや、こどもの集合意識的なコミュニケーションのパワーツールが「志村けん」だったのかな、と思いました。)

ーーー と、まあ、こんなふうに思ってる人もいるよ、ってことで。

みんなと同じ感情にはなかなかなれないんだけど、ただ捻くれてるってわけでもなかった笑。

嗜好の違いと、尊敬の念はあることを理解できて、そんな自分に安心しました。笑 

今、多様性の極地にいると感じます。

一斉に思考や行動を同じく「させられる」時こそ、こんな振り返りは大事だなあ、と思いました!

よかったら皆さんも、外側で起きていることを、自分に与えられる刺激として捉えて、自分の反応を見に行ってみてくださいね。

知らなかった自分に会えるかもしれません💎✨

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