インテグレート・ヒーリングIHと「知識」について

私スワアカネのIH基礎クラスでは、頭を使うな、知識はいらない、としつこく伝えています。

IH創始者のマチルダがそれを伝え続けていて、私が基礎クラスのインストラクターになった時に「基礎クラスで必ず伝えてほしい」とメールをもらいました。

私には、「知識は要らない」という言葉の意味が何年も理解できませんでした。

私たちは、勉強をするように、よく考えて行動するように、常識を大事にするように、と言われて育ってきました。

実は、2014年に出会ったある有名な実業家さんから「あなたはもう分かってるから、勉強なんかしなくていい」と言われていたのですが、そのことを信じることも出来なかったのです。

自分の周りの人と"比べて"、常に自分と誰かと比較して苦しかったし、圧倒的に知識も技術も足りないと信じていて、勉強会やセミナーに出て劣等感や正義感などのこじれた思いを満たしていました。

当時は勉強しないで知識もなくセッションすることはクライアントに失礼だと本気で思っていたし、プラクティショナーとして無責任だと思っていたからです。

なのでIH関係の皆で向上しながら学ぶ場を作るべく、自分で勉強会やセミナーを立案企画していました。

その時は、創始者マチルダのコースを1から4まで全部受けたことがありませんでした。

いつか全部受けたいと思っていました。

それをマチルダに話すと彼女は喜び、ぜひ来るようにと私に言いました。

もしかしたらアカネはIHのエッセンス(本質)をわかっていないかもしれないから、一度はアメリカに受けにいらっしゃい、と。

結果、受けて良かったです。

そして、IHがわからなくて何年も迷い悩み続けたこと自体も、結果的に良かったです。こうして深い洞察を得ることが出来たので…。

私は英語が得意ではないのですが、ユニバースからIHをギフトされたマチルダの考えを知りたくて、たくさん質問しました。

2014年の来日セミナー後の夕食時の会話中に、アフリカの、教育事情で文字が読めない人たち用のIHがあることを知りました。マチルダは「彼らはとっても美しいセッションをするのよ〜」と、うっとりした表情で言っていました。

IHのプロトコルの文章が鍵だと思っていた私はその話に驚いて、IHの教科書のプロトコルの中の文字(文言)が本質なのではないと理解したものの、まだ納得がいきませんでした。

「IHと知識の関係」についてようやく理解できたのは、2017年のサンディエゴ、クラスのスナックタイム(休憩時間)の時でした。

なんで知識が不要なの?と、ストレートに訊きました。

それが分からなければIHは理解できない、と直感していました。

マチルダの答えは、こうでした。

知識は、人生を豊かに楽しむためのものであって、IHをやるためや誰かを変えるために勉強するものではないのよ。

そして、知識とは、誰かが後から意味付けしたものだから、自分が面白いと感じたものを楽しむくらいで良いのよ。

勉強しないとIHが出来ないなんてことはありえないわ。

私が2012年10月のマチルダの来日クラスで初めて「知識は要らない」を聴いてハァ?と思った時から2017年のその時まで、5年間も理解できなかったのが、休み時間のガヤガヤの中、体を近づけて会話しただけで腑に落ちて解決しました。

やはり生で接すると、情報量が多いんでしょうね。

IHは、有名な心理学者でもあったマチルダの、当時3歳の甥っ子が彼女の顎の骨折を良くしてしまったこと(折れて動かなかった顎が動いた)から、自分たちは知識に目を覆われて本当に大事なことを見逃していたのではないか、と反省したことが大きな鍵になっています。

なので、IHでは、知識も経験も要らない、と言うのです。

そして、知識や経験がプラクティショナーの質を左右するのなら、そこにグル(尊師)というものの存在が生まれてきます。

知識も経験も豊富な人に追いつき追い越すことは、エゴが生まれます。

そうした人を頂点にして、ピラミッドやカーストを生み出し、上下関係、力関係を作ります。

その地位を手に入れるために自分自身をごまかざるを得ない人も出てくるでしょう。

そしてまた、知識にとらわれた視点でセッションをすることで、クライアントの無限の可能性を邪魔してしまうことがあります。

観測者視点のように、「そうだ」という思い込みがクライアントに作用するからです。

純粋な、計算なしの純粋なエネルギーが最強です。子どもや10代など若い人の行うセッションは、頭を使わず純度の高いエネルギーで、自分自身のエネルギーを注ぎ込まないから、クライアントの本質を汚しません。

私たちの限られた大脳新皮質でクライアントを管理制限制御するのではなく、大いなるものと繋がり、そのもの自体を信頼することを、実践しながら学んでいくのがIHなのです。

私は、私のようにいろんなセミナーにお金を使い込んで参加している人たちの様子や、そこで教えている講師、事務局を客観的に観察し、セミナーを受けることをやめました。

知識や理屈を重ねて自分の身を守り安心することや、たくさん勉強していろんなこと知っててすごいね、と人から言われることにアイデンティティを保っていた昔からの自分のエゴや恐怖心にも向き合いました。

その頃にクライアントさんの質も変わりました。私の恐怖のモチベーションから来るエゴに付き合わせて依存させてしまうことを反省し、嫌われないように心がけることを、やめました。怖かったので、少しずつ。

まだまだ自分は足りてないとか、自分に対してそう思うことも、クライアントに影響する。あなたはそのままで完璧な存在なんですよ、なんて、自分が思ってないのに、言われる方もエネルギーが一致せず気持ちが悪い。

自分と繋がると、お世辞も言えなくなります。心にも無いことを言うと、自分がズレてしんどいから。

IHをやっていると、在り方から見直しをさせられます。自分を許容していかないと、クライアントに対して上からの立場を取ったり虚勢を張るようになります。

外側の情報に振り回されず自分の感覚を研ぎ澄ませていくことで、自己信頼につながっていきます。

この世でわかっていることなんて、たぶんほんの一握りしかないはずで、科学なんて研究が進めば平気でひっくり返りますし、知識の枠がクライアントを邪魔することもあるのですから。

常識も、情報を扱う場によって変わります。

知識をつけるのが好きな人は、それを「趣味」にして、IHをやる時には頭を空っぽにすると良いです。マチルダだって相当の知識人なのに、ユニバースに従って、知識で人を制限しないようにトレーニングしてきたのです。IHを受信する前から既に国際的権威のあったマチルダが、常識・知識を手放すことにはどれだけの葛藤があったことでしょう。

それでもユニバースに徹底して従って生きざるを得なくなったマチルダによって、IHという恩恵を受けられるようになったのです。

知識に関する不安や恐怖に煽られず、松果体を活性させて生きていくことで、「常識」に囚われない、それぞれのいのちの豊かな自由さを手に入れ、真の自分の強さや美しさに出会っていくというプロセスをIHを通して経験できるのです。

自分以外の誰かにケアしてもらわないといけない状態は、本質の状態ではありません。誰か人の手・人の助けが必要な段階や時期はもちろんあります。それらの恩恵にあやかり活かしながら、それでも結局、次の扉をあけるのは自分次第です。

そのトレーニングを繰り返していきながら、自分のオリジナルな人生を生きていくのです。それは、多様性豊かな彩りある世界に繋がります。

プラクティショナーは、クライアントが自分の力を取り戻すためにただファシリテートするだけで、プラクティショナーが癒したり治したりするものではないのです。

「自分が良くしてあげたんだ」と思いたい人は、そういうセラピーをしたら良いですが、IHはそういうものでは無いのです。やり甲斐なんか無くていいんです。自分を満たすのは自分自身の存在なのですから。

私たちはクライアントを依存させるのではなく、お互い自立した関係においての発展を広げるために存在しているのです。

そこも含めて、プラクティショナーが自らと向き合うことから得る学びがIHなのです。知識とは違う種類の学びです。

それは誰かに教えられるものではなく、自分で実際に体験して掴むしかない。なぜなら自分は唯一無二の存在で、誰かの答えはその人のもので自分のとは違うからです。

その唯一無二の自分を信用することで、クライアントのことも信じられるし、そしてさらに自分のことが信じられるようになるのです。


いのちは知識では語れません。

何かを学び、手法を手に入れることは、ただの趣味におさめて、自分が自分を受け入れられるようになる方が、世の中が早く変わっていくと思いませんか?

わざわざセッションしていなくても、普段からセッションをしている時と同じくらい、自分の周りの人が元気になっていく方が、ヒーリングをやる者として本質的だと思いませんか😊

(セッションをしなければ仕事を失ってしまう、という恐怖をもつIHプラクティショナーは、自分の内側に繋がってみることをおすすめします。あなたの活躍の場は、今の範囲ではないかもしれません)

ユニバースからIHを受け取った張本人であるマチルダの、非言語の生身のエネルギーから学びたい方。9/23まで早割あります。まだ間に合いますよ✨

https://integratedhealinginla.jimdo.com/ih講習会ロサンゼルスについて/

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