政治と個々の生き方の話

神奈川県知事・横浜市長・横浜教育委員会教育長。

残念な感じのニュースばかりの横浜・神奈川ですが、

何かを変えるチャンスのタイミング到来のサインなので、

これを機に市政や県政が市民・県民のものであることを私たちが認識すればよくて、

それは国政が国民のものであるという意識につながるでしょうし、

「自分の人生は自分のものだ」

とハッキリと言える個々の生き方につながるように思います。

ほんとの自分を取り戻そう。

突然はじまるひとりごと(ジェンダーの話)

LGBTQIAT+のことで、思ったことがあって、メモがわりに。

普段から何の抵抗もないし、ゲイビも普通に見れるし、同性婚もやったらいいし、でもトイレが男女一緒なのは抵抗ある…と思ってしまって(幼稚園では男女一緒でした。何も問題なし)

その理由の1つが、日本のポルノの扱いと関係してることに気がつきました。

ある外国人たちが日本の印象を語っていて「日本人はすごく丁寧で親切だけど裏の部分がこわい。例えばポルノとか、風俗がとてもオープンだったりとか」「普段とても丁寧で抑圧しているからそこで発散するんじゃないか」と言っていました。

会社員だった頃の英語の先生も「日本のポルノはレイプだ。女性が嫌がることをする」と言っていました。海外のポルノなんてその時は見たことなかったけれど、確かに海外ものは男女が同等でした。

私はトイレでの痴漢にはあったことがないけれど、隠しカメラでの犯罪は知っています。私の経験としては、こどもの頃に変質者に抱き抱えられたり、電車の中で服を汚されたり、帰り道にストリーキングにお尻を掴まれたり。26歳以降全くなくなりましたけど笑。

ストレートの男性が女性に働く不毛なことが女性に余計な負担をかけるのを知っているから、男女共同トイレになった時に、ストレートで異常性癖の男性が何かしでかしたらすごく嫌だと思ってしまいます。そうなるともう、LGBTQIAT+どうこうの話ではなくなってるんです。

日本では個よりも組織が尊重され、個が生き延びるために表裏を使い分け、その使い分けから抑圧が生じ、その抑圧をいわゆる弱者にむけて発散をせざるを得なくなる。被害者はほぼ、女性か子どもか、高齢者、障がい者、他さまざまなマイノリティ。ではマジョリティは誰なのかというと、いま国会にいるような感じのおじさんたち。

なので単に海外のレインボー活動とは比較することができず、日本は女性っていうだけで生きるのが大変な環境でもあり、男性というだけで抑圧を強制される環境でもあるから、LGBTQIAT+とかストレートとかそういう話じゃなくて、日本社会のシステムの問題なんだろうなぁ、と思ったので書きました。ひとりごとです。

名古屋に行ってきましたの巻

8/11深夜1:10横浜発のバスで、名古屋笹島に6:40着。

少しウロウロして、名古屋の人たちの朝7時から長蛇のカフェ行列を目の当たりにして(さすが喫茶店文化!)、さらにはどこもかしこも行列だらけだな〜と思ったら、お盆だったから…とのこと。

私は東京育ちのため、お盆はガラガラに空いていて当たり前だったので、自分にとっては新しい体験でした。やはり現地で実際に体験して知るというのは楽しいです。

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昨日は、大阪でのIH基礎クラスが延期になったおかげで参加できることになった、9月の名古屋・姫コラソンというイベントの交流出展会に行ってきたのですが、何が吉となるかは、その時にならないとわからないものです。ストーリーはいつでも書き換え可能で、自分が選択しているのです。

なぜ行ってよかったかは、あらためてブログに書きます。思った以上に価値ある企画でした。

昨日の現場写真を頂いて、自分が自分の思っている顔ではなくなっていることに気づいて、とても不思議な気持ちです。強い系の顔になってる感。。強い霊力者系の。。

自分的には抵抗あるけど、初めてお会いする人には私の顔がどんな変化をしたかなど関係なくて、私が何を提供するかしか興味がないだろうから、私の抵抗なんてただのエゴなんだろうな。自分を薄めた結果そんな顔になるのなら仕方がない。

昨日言われたことですが、「悪口を言われるのってすごいじゃないですか!どうでもいい人は悪口を言われないから、妬まれるくらい成功する存在なんですよ」と。

いや成功なんかしてないし妬まれるのだってやだよ、と思った瞬間気づいたのは、もしかしたら、自分は無意識にそれを知っていて、妬まれないように、同情される立場になろうとしていたのかもしれない。中学生の時に、モテたい女子たちが面倒で、「私は争いません」と極力女子気を出さないようにしたのと似ている。それで「私は成功を争いません」と同情されるべき現実を引き起こしていたとしたら、ほんとこれ自作自演だわ😂笑。

言いたい人は、何をしても何か言うし、人の噂に惑わされる人も、それはその人の人生なのだからそれでいい。私のことを好きになりすぎて嫌いになる人がいても、それもその人の人生の中で私というアバターを使う必要があったのかもしれない。人生の学びの中で他者との関わりとは、そういうもの。

というわけでこれからもどんどん顔が変わりそうです。自分の顔も好きになっていきたいなあ。

わかりっこない諦めを持ちながら近づく

私がキネシオロジーを始めたのは、「全てのに納豆やバナナが合うとは限らないだろう」という疑問も大きなきっかけだったけれど、

「個々の人生なのに、お前に何がわかる?」

と、自分にも他人にも思ったからでした。

当時整体師だった私は、施術後に患者さんにアドバイスをすることも仕事のうちだと教わっていました。

二年間通った整体の学校で習ったことを、もっともらしく伝えて、役目を果たしていました。それは、患者さんにとって必要なことばかりではなかったと思います。なぜなら、患者さんの生活の一部始終を見てもいないし、その人がどんな環境でどんな気持ちで育って今があるのかも、わかりっこないからです。

それは、私に親切にアドバイスをくれる人に対しても思うことでした。見かけだけで判断されて、なんの悩みもない子だと思われがちだったので、誰も私のことなど理解する人はいないと思っていました(当時は明るそうに見えない子が羨ましかったけど、自分のギフトを受け入れ使うための学びを子どもの頃からずっとやっているのだと思います)。

だからこそ、筋肉の反応を通してその人に必要なものだけを提供するキネシオロジーは画期的だと思ったし、それを愛してバカみたいにやったからこそ、その筋肉の反応もバイアスがかかりやすいものだと認識できて、IHの「ただの筒になりなさい」という教えが本当に重要なことだと理解しています。

全て空っぽになることは出来ないけれど、それに近づく努力をする。

自分のことも他人のことも、そして地球や宇宙の全てを理解することはできないけれど、それに近づく努力をする。キネシオロジーは、分離を意図した非分離、という両側スレスレのスタンスであるべきなのだと思います。

やり方を変える時

今日は経営ゲーム勉強会の予定が、個人セッションお二人様分させて頂けることに。

こどもの頃に体験した理不尽な思い。その悔しさを糧にして生きてきたけれど、そろそろやり方を変える時が来た…

まさに今の天体の動きにシンクロするようなセッションでした。

自分の純粋性を保ちながら、自分でルールを作り選ぶ。そんなプロセスに私たちは居るようです。

このあとはカナダ在住の方とのオンラインセッション。

リクエストを頂いたおかげで、PayPal口座を作りました。

これで海外にお住まいの方にもセッションをお気軽にご利用いただけます!

現在、私が承るオンラインセッションは、一度筋肉反応テストをさせて頂いたことのある方のみとさせて頂いているのですが、

近々モニターさんを通して確認させて頂いて、初めての方でもオンライン可能に出来ないかと検討しています。

自分のこれまでのやり方に固執してしまうのも良くないな…と思ったのと、

たくさんの方にインテグレート・ヒーリングIHに触れて頂いて、自分の本質に沿った楽な生き方ができる世界を広げていきたいと思うからです。

モニターさん募集は近日中に改めて告知させて頂きますね!

8/11(日)は名古屋のイベントでIHします✨

よかったらお気軽に遊びに来てください^ ^

https://www.himecorazon.com/gathering/20190811