自分のために歌う

(写真は10月31日のロサンゼルス空港到着時。スーツケース左が私、右が愛ちゃん)

今日はIH(インテグレート・ヒーリング)基礎クラスの練習会でした。

いつも思うのは、

テキストを見ながらただ淡々とそれをやる、

テキストを見ながらたどたどしくもそれをやる、

そういうセッションほど、セッションをする人の余計なエナジーが乗っかって来なくてスッキリするんです。ほんと不思議。

もちろん、素晴らしい質問や気づきに繋がる声かけによって、深い納得感を得られることもあります。

ここで気をつけたいのが、何を目的としているのか、ということ。

納得するためにセッションを受けたいのか、

自分という存在、自分という<いのち>を輝かせるためにセッションを受けたいのか。

納得して「あ〜なるほどスッキリしました」というセッションは、頭の理解の領域を出ることが出来ない。

一方で、

よくわからないけどとにかく何かがスッキリした、

意味がわからないけど涙が出てきた、

というセッションは、

頭では追いつかない領域が動く。

無限の可能性があるのは、どっちかな。。

——

練習会の帰りに、今年一緒にロサンゼルスに行った愛ちゃんとご飯。

いろーんな話を聞いて、質問していく…

愛ちゃんの口から「自分に対して歌う」と出てきた時、

彼女と彼女の周りのエネルギー体がヒュッと変わり、

それと同時に、私のエネルギー体も震える。。

それは、「間違いない」の、サイン。

自分のために歌うこと。

それが彼女が自分に戻って来れること。

自分のために歌うこと。

とても美しく、愛に溢れた言葉であり、

愛に溢れた行為。

なんの質問をしたのかというと、

「誰に何を言われても止めないことって何?」

ということでした。

私なら筋肉反応テストだなあ。と思いながら質問をしていたけれど、愛ちゃんの言葉を聞いてエネルギー体がビンビン反応したことを後で反芻して、

夜道をブラブラ歩きながらフラーやヴィトゲンシュタインの記事を読み、改めて自分に問うてみた。

自分のために歌うという愛溢れる行為は、私の場合は何だろう。

すぐさま浮かんだのは「書くこと」。

愛ちゃんが、自分のために歌うことで自分に戻るように、私は自分のために書くことで自分に戻れる。

いつからだろう、人にわかってもらえるように書くこととか、何かを売るために納得してもらうように書くことを意識したのは。

ただ純粋に私は書きたいだけだった。どんなに下手と言われようとも、誰に貶されようとも。

「何かのために」やることが軸ブレを起こすことは飽きるほど体験している。これに関してはもう嘘はつけない。

誰かのために頑張るなんて恩着せがましいことはもう出来ない。

自分がやれるからやる、出来るからやる。やりたいからやる。

自分が歌いたいから自分のために歌う、

自分が書きたいから自分のために書く、

その「自分のため」の解釈は人それぞれなのだろうけど、それを文字のまま受け取って批判する人は、きっと何かを我慢しているのだろう。

純度をあげて行こう。

私の人生なんだもの。

それが私の仕事。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です